わたしが次女を妊娠した時、長女はダウン症と脳の萎縮があり、まだどの程度の障がいがあるのかを、認めることができなかった。元気な子どもが欲しかった、自分に自信もつけたかった。長女にもいい影響があると思った。
そんな感情を抱えた中で、次女は何を感じていただろうかと、長女が亡くなって10年程して聞いてみた。
バーストラウマといって、産まれた時の経験がその後の性格にも影響を与えやすいという情報を得たからだった。
次女を出産する頃、長女は昼夜逆転をし、わたしはかなり疲労が溜まっていて、しかも先祖代々、脳疾患が原因、引き金となって長らく大変な思いをされていた方が数名いたという情報を聞いてしまったものだから、不安はMax。そんな中、次女は予定日より3日遅れて、促進剤を飲み出産。まるで「今産まれていいいのか?」そんなような気持ちだったんだろうと思う。
10年ほど経って、産まれた時の話をして、これまで「人生って大変」とか「辛い」とか思っていないかどうか聞いてみたところ、「そうかも」という返事があり、会話をしたことをまた最近になって次女と話してみた。
次女は長女が亡くなってから中学くらいまでの記憶があまりない。無意識に蓋をしていたからなのか?昔の話をすると、頭痛があるらしい。その産まれた時の話をしたことも全く覚えていなかった。
記憶って全部脳に入り込んでいて、話をしたり、行った場所の近くになると、思い出すことが多いのだけど、次女にはそれもなかった。
昨年くらいから、次女は「自分はなにものなのか?」を問いはじめ、生きる意味を模索中。秋から海外で生活を始める。
そう考えると、お腹の中で脳が出来上がった時、それが本当の自分なんだけど、親の感情が刷り込まれたことによって、自分にとっては不要な制限やハードルが作られてしまう。しかも一代ではなく代々だ。兄弟が沢山いて我慢する環境だったとか、女だからやりたいことができなかったとか、戦争で人生が大きく変わった人が沢山いることを考えると、うつやがん、認知症の発症が増えていることも納得できる。
刷り込まれた日本人特有の根性論は、細胞にとっては抑圧でしかない。頑張ってもダメな時はだめで、頑張る方向性は間違っていないか?常に見直し、修正する時は、思い切って一度崩してみる。人間関係とか働き方とか、時間の使い方とか。思い切るとどんどん理想の自分に近づいていく。