こんにちは、津田涼子です。わたしは2018年より、サイキック能力やスピリチュアル能力がない方のためのヒーラー養成講座を開催していますが、子どもの頃から特別な能力があったわけではなく、SNSでの出会いによって宇宙とつながる体験をしてから、ただ目の前の人にセラピーをして変化していくのが楽しくて、それを諦めずにやり続けるうちに、

体の不調や人間関係の緩和、ラップ現象を止めるなど、通常霊媒師さんが行うような、もしくはそれ以上のスキルを、霊感がない人たちに、安全に、安心して、人生に間違いなく役立つことができる講座を作り、提供できるまでになりました。
2018年は15人、2019年は21人の方が受講。

正直、やっている自分も不思議だけど現実が変わっていく、生徒さんからの体験を耳にし、目にしています。

他のヒーラーとなにが違うかというと、私自身が未だに、

見えない。聞こえない。感じない。タイプです。

講座も自宅で週に3~4日ほど、1日2人ほどの方とオンラインでセッションをし、東京の講座は年に2回だけ。

生徒さんは東北から九州、海外にまで広がり、

セラピーのおかげで、すっかり穏やかになった科学者で現実的な夫の理解を得られるようになり、時間の自由、心の自由、経済の自由、50歳を目の前に、『自律』を手に入れました。

自分と合わない人とは出会わない、好きな人とだけの日常。
そんな毎日が送れています。

 

「痛みを瞬時に取ります。」っていうおじさんに宇宙とつなげてもらう体験をして、そのおじさんは、当時集まった10人にひとりずつ、指パッチンして

「はい、宇宙とつながったー。」「はい次―。」とか言われてw

そんなところからのスタートです。

浄霊のやり方や脳や内臓の不調を和らげる方法は、やり方を見て聞いて覚え、わたしのようなスピ能力がない人でも実感できるように試行錯誤しながら、クライアントにセッションを行ってきました。

2018年からは宇宙と生徒さんをつなげ、浄霊や脳、内臓などの浄化方法をお伝えできるまでになりました。

そんなわたしですが、講座をスタートした最初の1年で、こんな驚きの感想を生徒さんからもらいました。

 

体のあちこちに脂肪種やポリープなどができる生徒さんが、2センチあった脂肪種が、講座開始から10日ほどでぺたんこになり、

宇宙へのオーダーのコツがわかった生徒さんがその後、

1年半前からあった1.5センチの胸のしこりも、検査がある2週間前から
二日おきにセラピーをしたら、エコー検査でなくなっていて、検査技師に不思議がられ、

前歯が折れて治療が6回と言われた息子さんは、トラブルに巻き込まれたために我慢していた気持ちを相手に伝えるという行動を起こしてもらいながら、自分や息子さんに影響を与える人にセラピーをやってみてもらったところ、

関係者からの謝罪もあり、その翌日には前歯の神経も復活していて、結局治療が1回で済んで、今度はドクターがびっくりしていた、なんて驚きの出来事がありました。


その他の生徒さんからも続々感想をいただきました。


●食物アレルギーの湿疹が24時間から4時間に短縮(30代セラピスト・東京)

●肝臓にがんの転移の疑いがあり、pet検査前にセラピーをしたら、転移が全くなかったと患者から言われた(50代整体師・群馬)

●脳梗塞で意識不明だった義母がセラピー2日後目が覚め、半年後は話すようになり、笑い、歩くまでになった(40代葬儀関係・岐阜)

●スキルスがんの高齢男性にセラピーをしたら診断が変わった(50代経営者)

●2回危篤になった親が退院した(40代介護関係者・東京)

●クレーマーの高齢者がニコニコして話すようになった(40代介護関係者・東京)

●五十肩の上司にセラピーをしたら、腕をぐるぐる回しても痛くないと言われた(40代薬剤師・東京)

●ここ数年怒りっぽかった父親がご機嫌になり、家事をすすんでするようになった(30代セラピスト・大阪)

●実家のある部屋のラップ現象が止まった(30代セラピスト・名古屋)

●知人宅の激しいラップ音にセラピーをしたら止まった(50代経営者・群馬)

●上司が穏やかになり、世間話までできるようになった(40代看護師・静岡)

 

自分も伝えていて、「マジか…。」と思うことがよくあり、驚くことばかり。いかに普通におごることなく日常を送るか…。そういったことが自分の生き方のテーマにもなっています。

 

なぜこの講座を始めたのかというと、

「人生、楽しくなるから。」「この楽しさを共有したいから。」

そのくらい、ブレインクリア・セラピー®が好き。
ほんの数年前、母親や夫にこの活動をすることに激しくダメ出しされた時、何を思ったかと言うと、

「わたしの人生は終わった、こんな楽しいことができないならば、心を閉ざして生きよう。」

とまで思いました。ダメ出しされても、やってたんですけどね、バイト先で。辞められなかった。

「どこか痛いところある?」とか、イライラしている同僚の夫とかに、こっそり脳のセラピーをしてみたら、今までなく優しくなって、結婚20年目にして初めて夫婦二人の旅行を夫が計画するまでになったとか、

誰もいないのに足音が聞こえたりするラップ現象が止まった、なんて聞くと、自分は全く怖い思いもすることがなかったし、楽しくてモチベーション上がる⤴

正直、奉仕の精神より、楽しい気持ちの方が強かった。

だから長く続けてこれたのかもしれません。

そこから嬉しくて、バイト先の人が変化した話をつい夫にしゃべってしまったら…

「楽しそうだし、また始めれば…。」そんな言葉をもらって、2017年の夏、即アメブロを再開。現在に至ります。しかし、ここに至るまでの約20年、茨の道でした。

1996年と2006年、そして茨の道が終了したのが2016年。10年おきに人生のターニングポイントがありました。

そんなわたしの過去をお話します。

スピ能力とは無縁の子ども時代、自己肯定感が持てないの大人になる

わたしが3,4歳の頃、夜中に姉の奇行が1週間続きました。突然起き上がって「手が重い~」と泣きながら手を払う。おじいちゃんがおまじないをしたら、その現象がピタッと止まったのは、覚えています。

朝になると、姉は覚えていないと言っていて、あれは夢遊病だったのかもしれません。姉には霊感があったんだと思います。

兄も、友だちやおじいちゃんが亡くなった時は、枕元に立っていたということがあったそうです。

霊感がある人って、寝入りばなとか寝ている時に次元が変わるのか、視える時があるみたいですね。

そんな不思議なおじいちゃんや兄弟がいましたが、わたしはお化けに遭遇することもないし、こっくりさんをやっても、一緒に硬貨に指を置いた友だちが、わざと動かしていると思っていたので、信じることもなく、

小6の時、ちょっと不思議な女の子が友だちを思い通りにしようとして、お告げみないなことを言ってたんですよ。みんな支配されてましたねw
怪しすぎて、そのグループには絶対入らなかった。

そんな環境で育ったので、もしかしたら無意識に霊をシャットアウトするようになったのかもしれません。そしてこんな不思議なことを仕事にしていながらも、地に足がついた発信を心がけているので、クライアントには、申し込まれた理由に、
「嘘は言っていないだろうなと思った。」とか「怪しく感じなかったから。」とよく言われます。

小学生の時から、係は委員長、部長といった肩書が多く、中学の時はバレー部のキャプテンに大人に言われてなってはみたものの、

輪になって励まし合うとか、チームワークがそもそも嫌いで、よく考えたら、
背が高い=バレーボールみたいな、大人の期待に応えていただけなんだな~ってことに気が付き、全力をかけて、辞めさせてもらった経験があります。

習い事もスポーツも、なにをしても長続きせず、諦めの早い子どもでした。

そもそも「学歴はいらない」という父だったので、
そんな父親を説得するくらい、なにかに熱中してもいなかったので、高校は堅実な商業科、高卒で就職して、大人を安心させようという気持ちはあったと思います。

今思うと結構引き寄せ力があったんだな~と思うのは、

全学年で唯一わたしだけ、6週間アメリカにホームステイをさせてもらったことがあって、その募集が始まる直前に急に短期留学に憧れるようになり、社会の先生に相談をしていました。ちょうどその時にホームステイの話が先生のところに来て、その時だけ成績が良かったわたしは、一般募集をする前にゲットできた。という超ラッキーな体験でした。

後にも先にもあの時の好成績は一度だけ。あとは簿記で赤点取ったりしていましたw

想いが叶う体験はこの時が初めて。引き寄せなんて言葉も知らなかった頃です。

そんなラッキーなわたしだったけど、組織も苦手だし、簿記も苦手だったので、真面目な就職は結局せず、選んだのは職人。

モノづくりが好きなだけで、嫁に行っても自立していたいという気持ちだけはあり、和服の仕立て職人を目指して、5年修行というのをしてみました。頑張ったわたし。

デパートでオーダーされる振袖や留袖が縫えるまでになり、個人事業主として、24歳で職人としてデビュー。姉もわたしも「実家を出る時は、嫁に行く時」そんな暗黙のルールに疑問を持つことなく、実家に依存していました。

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障がい児の出産から突然死と離婚。更なる苦難

25歳で周りの勧めでお見合いして公務員と結婚。失恋からしばらく立ち直れていなかったとか、自分の価値を低く見ていたりとか安定とか。自分の可能性なんて全く考えていなかった。結婚して、子どもを育てながら、職人を続ける。そんな程度の意識レベルでしかありませんでした。

翌年の1996年 ダウン症で脳が萎縮した長女を出産しました。

早産でもないのにお腹の中では1800gまでしか育たなくて、産婦人科医から出産直後、分娩台にいる状態でダウン症との告知を受けるという衝撃の体験をしました。

専門のドクターがいない、出来立てのNICU(新生児集中治療室)の受け入れしかない、主治医が診断ミスして重症化しちゃったり、学会で問題になってたり、 脳の萎縮とダウン症というのが相当珍しかったようで、 医療系ドラマで診察室に研修医がずらっと並ぶwみたいな体験をよくしていました。

周りに障がい者がいなかったこともあり、未来が想像ができない不安が自分や家族にあって、みんなの気持ちを早く復活させたい、元気な子どもを産みたいと、

長女の出産から13か月後に次女を出産します。

大学病院の産婦人科医は、いつも気の毒そうな顔で私を見るし、障がい児の療育を早く受けさせようと行政へ行っても、まだ早いと送り返されていた中、かなり前向きで挑戦的でした。

そんな中、産まれたばかりの次女は2ヶ月で首が座るなど、ぶっぱなしで長女を追い越し、元気な赤ちゃんとそうでない赤ちゃんの違いが明らかになりました。

同じ親から生まれているのになぜこんなにも違いがあるのか?そう思い始めるようになりました。

しばらくして長女が、コミュニケーションがとれないことがわかってきて、二女の相談相手がいたほうがいいよな~と思い、3年後に三女を出産。
「絶対女の子。」という願いは叶い、人生2回目の引き寄せ。

今では大人になった二女三女、脳やホルモンにセラピーをしてきたことも影響したようで、共に身長180センチまで成長し、長女を思うと、彼女の運命は未だに謎。息をするのも辛い状態であったのに、自力で産まれてきたことも不思議でした。

実は二女を妊娠中、先祖の仏壇と写真が置いてある和室で掃除機をかける度に、先祖のことが気になり、長女の障がいと先祖になにか関係があるんじゃないか?と思うようになりました。

墓参りに行ってみると、20代で亡くなっている女性がいることに気がつき、夫に聞いてみると、「かあちゃんの妹」と言う返事。「あれっ?お義母さん、ひとりっ子だったはずなのに…?これって先祖の○○ってやつ?やばいじゃん。」

正直そう思いました。問いただしても「よくわからない。」とうやむやの返事のまま、悶々と妊娠期を過ごし…。結局、若くして亡くなったおばは、生まれた時に脳の障がいを負い、介護を受け続け、肺炎で亡くなったという事実が判明。

夫や婿で入った義父にとっては、触れてはいけない、隠したい事実でした。もう衝撃でしかない。なんと二女出産1週間前のことです。

わたしにも沢山の先祖がいたわけですから、どちらが良いとか悪いということはなく、今では起こった出来事には意味があったんだと思えますが、当時は無事に生まれるんだろうか?という不安と恐怖でいっぱい。

夫の弟も生まれてすぐに亡くなっていたし、50代だった義母、義祖父母、皆が脳の疾患を持ち亡くなっていたため、代々と続く家系への不安と、現実では、首が座らない、口から食事が摂れない、あやしても笑ってくれない、なにもしていない時にひとりで笑顔を作っている長女がいる。(笑顔はかわいい)
便が自力で出せない、出来ることと言えば、泣いて不快を表現することくらいで、しかも!検査では耳も聞こえないかもしれない、なんて言われて、絶望。

そんな中で次女を無事出産することができました。

のちに出産時のトラウマ(バーストラウマ)が人生に影響を与える、ということも知ることになりますが、二女も三女も幼少期の体験で、10代は苦労をします。

運命に翻弄されながらも、その頃のわたしには、まだ元気があって、親の会に参加し、未来を想像しながら養護学校や施設見学を精力的に行っていました。

障害児の学童保育の立ち上げにも参加して、二女三女も障がい児と共に過ごし、私自身は自閉症児や肢体不自由児のボランティアもしました。

そこで障がい児の親の辛さや兄弟の我慢など、心の問題を知ることになります。


かなり毎日全力で頑張っていた中、 2002年長女が5歳を過ぎても、単独で保育を受けることは行政が認めていなかったので、自分が働くことで行政が変わる事例を作ろうと、就職を考えました。介護の資格を取るためにショートステイに長女を預けた、そんなたまたまな1週間だったのに…

明日迎えに行くよっていう前日に心不全による突然死。

なんで一緒にいない時なんだろう?死に目に一緒にいれなかったわたし。その罪悪感は数年続きました。

当時、「神様っていないよね。」そう母親にも断言するくらい、神様は信じていませんでした。

そしてこの突然死が発端となり、離婚することになります。

当時は男女の親としての意識の違いを理解出来ずに、歩み寄る努力はしませんでした。
そこから13年間、辛いシングルマザー体験をします。

離婚してどうするわたし。って感じなんですが、よくあるんです。障がいを持った夫婦の末路。産んだ母親、障がいを理解できない父親の意識のズレ。

今ならわかるので、コミュニケーションが足りなかったな~と反省はします。

が、しかし。

離婚がなければ今の自由な自分も存在しないので、それはそれで良しとしますw


2003年、離婚と共に実家のエステティックサロンで事務員として勤務します。そこから人材不足でエステティシャンになり、途中から代表にまでなってしまいました(・_・;)

現場で実践しながら、エステティシャンの資格を取り、施術、売り上げ、集客、雑務と気が付くと、ひとりで抱え込み、誰にも頼れない、茨の道にどっぷりと浸っていました。帰りは毎晩10時を過ぎ、二女三女の面倒は母にお願いしていました。

体力的にも精神的にも経済的にもどんどん追い込まれ…

夜ひとりでサロンを掃除しながら、「誰か助けてくれないかなぁ~。」っていつも思っていました。現実逃避ですw

「安定したパートナーがいて~思いっきり、やりたいことをしている自分」を妄想していました。

今思うと、安定したパートナーも限界を超えるスキルも現実になったんですよ~。

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初めて宇宙とつながる、不思議なおじさんとの出会い

当時、TVで「オーラの泉」が流行りだし、エステに来るお客様の人生相談に応えきれていない限界も感じていました。

インターネットの検索で、大正時代から続くレイキヒーリング(手当療法・エネルギー療法)の存在を知ったのもこの頃で、藁にもすがる思いで伝授っていうのを受けました。

残念ながら、霊感がなかったわたしに実感はなし。

レイキを使って実感を得ている人やイギリス仕込みのママ友のヒーラーが近くにいて、スピリチュアルなことを語られたりすると、いいな~って思うようになっていました。

そんな時、ミクシィを通して「瞬時に痛みを取ります。」という九州のおじさんとの出会いがあり、体に触れずに痛みなどを和らげる「宇宙エネルギー療法」というのがあることを知りました。レイキより凄そう!と、これもまた伝授を受けました。

これを書きながら、当時の自分を冷静に振り返ると、全くスピリチュアル能力がない劣等感と、現実逃避したい欲望からのスタートだったことがわかります。

この時も、教わった療法を家族に試みても「わからない。」そう言われました。

家族からは「感謝がない。」とか「責任が足りない。」とか言われ続け、激しく落ち込み、自信喪失する日々が続きます。十数年宇宙とつながり続けて来て今わかるのは、自分の選択してきた人生に無責任、意識レベルが低いということが、宇宙とのつながりに実感が持てないことのようでした。

そこから1か月後、エステのお客様からサロンに電話がかかってきました。

ご主人が、急性心筋梗塞で意識不明の状態で救急車で運ばれ千葉大に向かっている、遠隔をしてほしいといった内容でした。

重篤と言われたし、あまりに緊急のため、かなりビビりましたが、セラピーをした30分後に再度かかってきたお客様の電話では、「千葉大に着いたけど、意識が戻って、痛くないと夫が言っている。」

「ひゃーマジか。」

その後、カテーテル検査では、詰まっていたであろう血栓はなく、2週間後に退院。

依頼された女性からは「遠隔してもらったおかげで助かりました。」といった言葉をいただいて、なんていうか、体験したことのないような喜び?「ほんとかな~」みたいな感じ?「わたしにも出来てる?」みたいな…。

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夢のヒーラー、人生崖っぷちから見えてきたもの

エステティシャン時代は、宇宙エネルギー療法で、こんな楽しいことを体験しました^^

●仲の悪い夫婦に脳の浄化をしたら、旅行に行くまで仲良くなった。

●膝が痛くて手すりにつかまりながら階段を上がってきた60代の女性にエステのパック中にセラピーをしたところ、帰りは手すりなしで階段を降りて帰った。

●1か月首が動かない20代女性についていた不要なエネルギーを取ったところ、首が横まで動き、回せるようになった。

●がんの疑いでpet検査前に不要なエネルギーを取り除いたところ、検査結果では異常なし、青汁を処方された。

●五十肩で腕が上がらず、整骨院帰りにエステに寄った50代女性の抱えている感情をリセットしたら、腕が上まで上がるようになった。

●原因不明で耳が塞がれたような症状だった40代女性の脳の浄化をしたら、症状がすっかり取れた。

●誰もいないのに2階で足音がしている家の不要なエネルギーを取ったところ、音がしなくなった。

が、しかし。

自分の環境はちっとも良くならず、体力も精神も経済もギリギリのままでした。その時に思いついたのが、「先祖供養」

自分の根本から見直すひとつの方法として思いつきました。
区役所に行くと、3代前までの戸籍が取れたので、家系図を作ってみたところ、なんと100人ほど、先祖がいました。

それをひとりずつ、成仏しているか?確認していきました。

もう本当に、本当にやることがなくて、それしか考えつかなかった。というのが本音で、どん底状態です。

そのため100人のご先祖様…自分ではやり切った感がありましたww
やり切ったので、あとは流れに身を任せるしかない、と思っていた数日後…

「会社辞めて、うちで働かない?」という経営者さんが出現。
とうとう13年続けたサロンを辞める覚悟ができました。

そして、その2か月後、高校進学が決まった三女から、「お母さん、わたしたちお母さんの面倒みれないから、再婚していいよ。」

と、お世話になるつもりもなかったけれど、どストレートな提案で、落ち込んだのも一瞬。その日のうちに婚活サイトに登録。お金もなかったので、1か月で決めようと決意w

自分の条件も素直に提示、相手の条件はMaxにし、とっておきの写真を2枚掲載…

すると、3日で30人ほどの方から問い合わせがあり、そこで今の夫とだけに会いました。3日で決まったw 

ここでもわたしは、引き寄せ力だけは発揮しました。

がしかし。またまたすんなり事が進まない(>_<)
もうひとつ課題がありました。「一度、忙しい自分から離れてみる。」ここで働き方を考える機会を得ました。というのも、

再婚後夫から、セラピーの活動について理解を得るのに少し時間がかかりました。まっ、当然と言えば当然なんですが、これも走り続けてきたわたしにとっては、いい経験となりました。

その間は心身を休めること、夫からは普通に生きて欲しいという願望があったので、アルバイトを勧められました。そこでもわたしは同僚にセラピーをしていましたが、この楽しさを独り占めするのはもったいないな、と思うようになっていました。

楽しそうな私を見て夫からのOKが出て、即アメブロで個人セッションをやるようになり、継続的に1か月間、クライアントやその家族にセラピーをしていた時、

「クライアントが自分でセラピーができて、やりたい時に、自分や大切な人にやってあげるのが一番いいよな。」と思うようになりました。

ひとりでやれることの限界を感じていたのと、成長したいと思っているクライアントとやり取りをしていきたかったので、同僚の協力を得て、オリジナルのメソッドを作ることにしました。

それが今のブレインクリア・セラピー®です。

同僚は、ヘルニア持ちの20代の大学生の腰痛を和らげたり、肺に水が溜まった父親にセラピーをして、翌日退院したりとか、

なかなかの成果を出してくれて、2018年2月から、養成講座の募集をアメブロで始めました。

驚いたことに生徒さんは、看護師さんや薬剤師さん、整体師さんや、ご主人がドクターだったり。最近は70代のカウンセラーの方だったり。

長いダメダメ人生がやっとで終わった。そう思えました。今までの辛い体験は無駄ではありませんでした。

ここまでが津田の長い長い苦難の道のりでした。長い話におつきあいいただいて、ありがとうございました。

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セラピーを通して、楽しさを共有したい

最初は、楽しさを追求していました。

そのうち、この楽しさを人と共有したくなりました。


今はそこからちょっと発展しています。

日本ではこの15年、スピリチュアルブームがずっと続いていて、癒しのイベントや、神社参拝ツアーなど、様々なイベントやヒーリングが増えていますが、それの効果ってどうなんだろう?と思っています。

だって日本の未来はやばい気がしてなりません。

ガンになる確率は、1996年ですでにアメリカを越え、難病と言われる症状がどんどん増えています。

15年前にニューヨークと日本を行き来している方には、「日本人はなんでこんなに病んでいる人が多いのか?」と聞かれました。電車に乗るだけで、そう感じたと言っていました。

ワールドカップなどでは、海外の人から「日本人は親切」とか「マナーが素晴らしい」と言われていますが、それは表だけの顔でしかないように思えてなりません。

日本人は圧倒的に自分とのコミュニケーションが足りない。

夫婦や親子、組織、そして自分の心とコミュニケーションが取れていない。心や体の声を無視している人ばかりです。自分を信じることができないまま人生を複雑にして、大人になってしまった日本人。

それは子どもの頃から自分の意見が言えない環境や影響力がある大人が、平気で人としてのルールを破っている、間違っていても謝らない。そこには歴史的背景もあるのかもしれません。

しかし、起こった出来事を外側に求めている限り、なんの解決にもなりません。

全ては自分の選択、自分の捉え方で現実はできています。

わたしは、ブレインクリア・セラピー®と関わる人が、生きている悦び、心からの自由を取り戻していってほしいと思っています。

だからといって、変われないのが人であって、先延ばしにしたり、自分の人生に責任が取れないことに、いいとか悪いとかジャッジはしません。

わたしは前を向いて、クライアントに起こるであろう負の未来を回避するために、大切なことは伝え続けます。

人生は自由選択です。

ただ自分に向き合い、幸せを真剣に望み、歩んで行動する人と関わりたい、そういった方にセラピーを伝えていきたいと思っています。

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養成講座について

養成講座は、宇宙とつながる体験コース、初級、中級、上級と段階的になっています。

宇宙とのコンタクトの取り方は、「宇宙とつながる体験コース」の中で、体験ができるようになっています。

宇宙に質問をした時に、8割ほどの方が指が動いて、YES、NOのコンタクトが取れます。体験で指が動かなくても、ペンジュラムなどを使う方法もあります。

体験コースは、コンタクトを体験できる他、現在住んでいる土地や脳や内臓、ホルモンのストレスを数値化し、浄化と浄霊をします。

実際受講する人は、霊感とかスピリチュアル能力がない方が向いています。

初級講座から、安全な浄霊ができるようになるので、他のヒーラー養成講座とは別格です。

スタートして数日後にラップ現象が止められた生徒さんやすでにお客様がいる人は、事前に浄霊することで、体の疲れ方が違う、といった体験をされています。

これにはコツがあり、本人が持っている、霊的なエネルギーを使うことはなく、学んだ通りに実践すれば、怖い思いなどは全くしません。

中級では、脳や内臓、ホルモンの浄化、症状別のセラピーのやり方などが学べるので、中級まで学ぶと、実感を得られることが増えてきて、大切な人や自分に影響を与える人にも貢献でき、楽しさがわたしや生徒さんたちと共有できます。 2006年から体験してきたスキルをぎゅっと詰め込んだ講座になっています。

上級講座はプロヒーラーを目指します。
自分の人生の課題を乗り越えていくことで、様々なお客様の悩みに応えていくことができるので、セラピーや集客のスキルをただ学ぶだけではなく、願望を現実にするまでの過程を自らが素直に行動に起すのと同時に宇宙に願いを放つと、驚くような奇跡が起こります。

ブレインクリア・セラピー®をもっと知りたい方は、メールマガジンで解説しています。

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プロになりたい人への無料動画

「プロヒーラーになりたい」そう思っている人。
本業としていきたい場合、段階があります。

ヒーラーに限らず、ネットを使って、なにかのプロを目指す人にも参考になると思います。

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